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しかたのない蜜

しかたのない蜜

神域の花嫁 67~76

 誰かが自分の顔を、優しく撫でている。
 その感触で凛太郎の意識はゆるゆると目覚めていった。
 その手はいとおしげに凛太郎の髪に触れている。そして頬へ、首筋へとその手は降りていった。凛太郎が寝ぼけ眼でいやいやをすると、その手の主は楽しげな笑い声を立てた。
「……明?」
 目を閉じたまま凛太郎は言った。
「もう、今夜は寝かせてよ。僕、疲れてるんだから……」
 その手はいったん動きを止めたが、今度はたくましい両腕が凛太郎の体を抱きしめた。体がしなるほどの情熱的な抱擁だった。
 凛太郎は息を詰めて、目を開けた。
 その目に映ったのは、赤い髪をした鬼の姿だった。鬼はうっとりとまぶたを閉じて、凛太郎にくちづけている。
 叫ぼうとしたが、生き物のような舌が口に入り込んできて、ねっとりとなぶられると凛太郎の頭はぼぅ、と痺れた。あの夜と同じだった。
「会いたかったぞ、愛しきわが妹よ」
 凛太郎から唇を離して、鈴薙は微笑んだ。全身がわななくほどの美しく、そして妖しい笑みだった。
「あ……っ」
 凛太郎は助けを呼ぼうとした。人心を乱し、人を滅ぼそうとしている恐ろしい鬼がここにいると。
 だが、口から出てくるのは甘い吐息ばかりだ。
 自分は恐ろしくて、声を上げることができないのか。それとも鬼の力によって心を操られているのか。凛太郎はどこかぼんやりとした頭で考えをめぐらす。
 いや、違う。
 鬼に寝間着の中に手を入れられながら、凛太郎は思った。
 凛太郎は、この鬼にふたたびあいまみえることができたのをどこか嬉しいと思っているのだ。
「そなたの肌はあいかわらずやわらかい。俺の手に吸い付くようだ」
 凛太郎の頬にくちづけの雨を降らしながら、鬼はささやいた。その切れ上がった双眸は、火のような激しさをたたえて凛太郎にまっすぐに向けられている。
「俺との間に子をなしたとは思えぬ華奢な体だなーーーーどうした、あの我が子は?」
「お……お前なんかに教えるもんか……っ」
 鬼の愛撫に身をおののかせながら、凛太郎は切れ切れに答えた。鬼の指先が、体を這うたびに息がはずむ。
「ずいぶんとつれない言葉だな。だが、おぬしの体は俺を拒んではいないぞ。むしろ誘っているようだ」
 鬼はふくみ笑いをもらしながら、凛太郎の下腹に手をすべらせた。
「やめ……っ」
 凛太郎は必死にもがいたが、鬼は凛太郎の抵抗をほほえましげにすら見つめていた。
「明……ッ」
 叫ぼうとする凛太郎のくちびるを鬼はくちづけでふさいだ。その間に、凛太郎のこめかみに鋭い痛みが走った。痛みの生じる部分に必死に目をやると、鬼は人差し指を突き刺して、そこから伸びた長い爪を凛太郎のこめかみに突き立てていた。
(僕の記憶が読まれちゃう!)
 凛太郎の背筋は凍った。弓削家で巫子としての修行を受けていることも、勾玉のゆくえも、そして明に気を与えるために交わっていることもすべてこの鬼につつぬけになってしまう。
「……ほう」
 鬼は凛太郎のこめかみから爪を抜いて、面白そうに目を細めた。
「俺がいぬ間に、なかなか面白い事態になっているようだな。弓削秀信、か。覚えておこう。そしておぬし、蒼薙に幾度も抱かれたようだな」
 凛太郎は頬がカッと熱くなるのを感じた。
 お前なんかに関係ないだろうっ? と言おうとしたが、声が出ない。ふたたび明に助けを呼ぼうとしたが、それも無駄だった。
「何も咎を感じることはない。俺にとって、おぬしはただひとりの愛するものなのだから」」
 赤い髪をした鬼は、凛太郎の頬を優しく両手でつつみこんだ。そのまなざしは限りないいとおしさに満ちている。
「そして、おぬしの最初の男は俺なのだからな。おぬしとの間に子を成したのも俺だけだ」
ほとんどお前に無理強いされたようなものじゃないか。
 凛太郎は残った理性をかき集めて、必死にそう考えた。満身の力を込めて、鈴薙の美しい顔をにらみつける。
 鈴薙は怒るどころか、微笑ましげに形のいい唇を上げた。子供をからかう親のような目だった。
「俺の言うことに異議申し立てを述べたいか? どうせ蒼薙や弓削と申すものから入れ知恵を受けたのだろう。だが、お前の体は俺を拒んではおらぬぞ。いや、むしろ欲しがっている。こんなふうに」
 鬼は凛太郎のもっとも敏感な部分をなで上げた。軽く触れられただけなのに、息が上がる。
「ほら、お前は俺のものだ。そうであろう?」
 凛太郎は鬼から顔をそむけた。快楽にゆがみつつある自分の顔を見られたくないがためのせめてもの抵抗だった。
 鬼は含み笑いをもらすと、凛太郎のそこを手であおっていく。
「ん……っ。あっ……」
「お前の体は俺を刻み込んでいたようだな。覚えていただろう? この手つき。このぬくもり。蒼薙のものとは比べものにならぬはずだ。そうであろう?」
 鬼はいじめるように凛太郎のそこを手でくるんではこすりあげる。性急なのに少しもがさつさを感じさせない絶妙な動きだった。凛太郎は触れられた部分に急速に血液が集まっていくのを感じた。そこは恥ずかしいほど、もうそそりたっているだろう。
「いや……あっ」
「本当にやめてもよいのか? お前のここはそうは言っておらぬぞ」
「苦し……あっ」
 頭が次第に白濁していく。どうにか解放されたくて、凛太郎は腰を強くよじった。やがて不意に、熱い血がたぎるそこが、なま暖かくてぬめるものにつつまれた。
 ふと下を見ると、鈴薙がそこに顔をうずめていた。淫らなその様に羞恥する間もなく、ぬるりとした舌がそこをくるんで上下に動き出す。
白い月明かりの下、鬼の赤い髪は炎となってゆらいでいた。
「や、やだ……やめっ……」
 凛太郎の制止も聞かずに鈴薙は口と舌を巧妙に使う。
 凛太郎の目に涙がにじんだ。たまらなく屈辱的な状態のはずなのに、この鬼を憎みきれないのはなぜなのだろう。
 そのとまどいはやがて真っ白にかき消えた。
 鈴薙の喉は上下して、凛太郎の放ったものをすべて飲み下していた。
「愛しているぞ、そなたを。こんなにもいとおしい……誰にもやらぬ」
 鈴薙は肩をはずませている凛太郎を抱きしめた。
 その体はどこまでもがっしりとしていてあたたかかった。
 凛太郎はなぜか父親に抱かれた幼い日の感触を思い出した。
 だが、凛太郎の束の間の奇妙な安らぎは鈴薙の次の言葉で打ち消された。
「俺と行こうぞ、わが妹を」
「え?」
 驚いて目を上げる凛太郎の髪を鈴薙は優しく指で梳いた。
「とまどうことはない。俺と、我らの子らとともに水入らずで暮らそうというだけだ」
「い……いやだ!」
 凛太郎は叫んだ。それでも体には力が入らなかった。
「あなたは人間を滅ぼそうとしているのでしょう? 僕、そんな人と一緒にいられない!」
「俺は人ではない、鬼だ」
 真面目だとも冗談ともつかない口調で鬼は言った。
「わ、わかってます」
「拗ねた顔もまた愛いことだ」
 思わず口ごもる凛太郎に鈴薙は目を細めた。
 凛太郎は気を取り直して言った。
「僕はあなたと戦う。明や、先生たちだって味方してくれるんだから……」
「蒼薙はともかくとして、あの弓削とやらはお前の味方などではないぞ、わが妹よ」
 鈴薙は鋭い目をして言った。
「そんな、どうして? 先生は僕の尊敬する人だ!」
 凛太郎は叫んだ。鈴薙は哀れむがごとく、目をすがめて凛太郎を見つめた。
「かわいそうに……けがれなき魂を持つおぬしはだまされておるのだな」
 鈴薙はそっと凛太郎の頭を胸にかきいだいた。そのぬくもりに、凛太郎は思わず目を閉じそうになる。
 だが、気力をふりしぼって鈴薙に反論した。
「あなたは、僕を惑わそうとしてそんなことを言っているんだ!」
「何を言う。おぬしをまどわしているのはあの男だ」
 鈴薙は怒りを覚えるよりも、むしろ驚いたようだった。
「お前は覚えていないのか? 千年の昔、我らとあの弓削の一族はあいまみえたではないか。きやつらが何をしたか、思い出すがいい。さすれば、そなたはあの一族の血を引くものすべてを憎むようになるであろうから。この世の邪悪なるもの。それがあやつらだ」
 鈴薙は諭すように言った。さらさらとした月明かりが、鈴薙の精悍な顔を白く照らす。その切れ上がった双眸は静かな悲しみと怒りに満ちていた。
 その時、凛太郎の頭に白い閃光が走った。
 突然、背筋に冷たいものが走り抜け、吐き気までする。
「あ……うわあああ!」
 凛太郎は激しい頭痛に耐えきれず、絶叫した。
「どうした、凛太郎よ!」
 鈴薙の必死な気遣う声が遠くで聞こえる。
 凛太郎の頭の中で青白い火花が散った。
 激痛が徐々に弱まっていき、凛太郎の意識は溶暗した。

 雪が舞っていた。
 と思いきや、それは桜の花びらだった。
 満開の桜の下で、凛太郎は鬼と対峙していた。
 鬼は瞳で凛太郎を抱きしめながら、その手をさしだす。
 鬼のその手は、べっとりと血にまみれていた。長い爪には黒い血が固まってこびりついている。そして、鬼が身につけている白い袴にも血が幾筋もこびりついていた。美しさは、極上の反物よりも凄艶だった。
 そこで凛太郎は気が付いた。
 自分たちの周りには、幾人もの人間が横たわっているのだ。
 白い桜の花びらを血に染めた彼らは、まぎれもなくこときれていた。
 そして凛太郎自身も、真っ赤な血しぶきを浴びていた。
 己が置かれた光景のおぞましさに、凛太郎は絶叫した。
「うわああああ!」
 頭をかきむしって凛太郎は叫んだ。
 頭の痛みは去ったものの、体中からいやなあぶら汗がにじみ出ている。
「どうした、わが妹よ!」
 鈴薙が凛太郎を抱きしめる。そうされなければ凛太郎は恐慌状態のまま、窓から身を投げていただろう。
 歯をがちがちと鳴らしながら、凛太郎は答えた。
「ぼ、ぼ、僕、あなたと一緒にいた……ううん、もしかして明だったのかも……っ」
「どうしたというのだ? 詳しく話してみろ」
「ぼぼぼ、僕たち、桜の木の下にいて……っ、そそそ、それで周りに人がたくさん死んでて……っ」
「ほう」
 鈴薙は目を細めた。
「そなたの巫子としての力が目覚めたのか? いずれにしても面白い話だ」
「いやだ!」
 凛太郎は絶叫した。
「これが僕の巫子としての力なら、僕は……僕は、これからこんな目に遭うの? そんな……そんな……」
 凛太郎は号泣した。
 自分の行く末がこれほど暗いものだと思ったことなどなかった。
「悲しまずともよい、わが愛しきもの」
 鬼は凛太郎を強く抱いて、その唇を吸った。凛太郎はあらがったが、徐々に体から力が抜けていくのを感じる。
 鈴薙の舌は優しく凛太郎の口腔をいやす。そのぬくもりには、今の凛太郎を安心させるものがあった。
「どのような未来がお前に来ようとも、俺が守ってやる」
 鈴薙は凛太郎の頭をかき抱きながら言った。
「その鬼とは、きっと俺のことだ。俺がお前に不貞をなす人間からお前を守ってやったのだ。そうは思わないか?」
 鈴薙は少しおどけた声で言った。この激しい気性を持つ鬼が、こんなくだけた態度を取るのを凛太郎は初めて見た。
 それが動揺している自分を励ますためのものだと思い当たって、凛太郎の胸は高鳴った。
「だからそのためにも、俺と行こうぞ。俺の地へと」
「えっ?」
 甘酸っぱい気持ちから、不意に凛太郎は現実へ引き戻された。
 驚いている間にも、鈴薙は凛太郎の体を横抱きにして、窓辺へ向かった。
「や、やめてください! 僕はあなたとなんか一緒に行きたくない!」
「何を言う。かの地では、おぬしと俺の子も待っているのだぞ。そうだ、もう一人の我が子は……」
「あなたにあの子の居場所なんか教えるもんか」
「ほう、そうか。ならば後でおぬしから聞き出してやろう。この体にな」
 鬼は凛太郎の首筋を撫でた。背筋がぞくりとする快感に、凛太郎は思わず甘い吐息をもらす。それを聞いた鈴薙は、満足げに含み笑いした。
 凛太郎を腕に抱いた鈴薙が歩み出そうとした瞬間。
「待たれよ、鬼神殿」
 毅然とした男らしい声が、鈴薙を制した。
「弓削先生!」
 凛太郎は暗闇に浮かぶその人影に向けて叫んだ。
 そこに一枚の呪符が飛んできた。秀信の放ったその札を鈴薙は素早い身のこなしで交わした。
 そこにできた一瞬の隙に、凛太郎の体を鈴薙から奪い返す者がいた。祥だった。
「ご無事ですか、凛太郎さま」
 祥は凛太郎を床の上に丁寧に着地させた。 
 凛太郎は鈴薙から一メートルほど離れた秀信の隣にいる体勢になった。
「晴信が急に託宣をたまわってな。お前が何者かにさらわれるというのだ。心配して来てみたらこれだ」
 秀信は床に膝をついたままの凛太郎に手をさしのべて、微笑みかけた。秀信の眼鏡の奥にある優しいまなざしに、凛太郎は安堵のあまり泣きそうになる。
「せ、先生……助けてくださってありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早い」
 秀信は新たな呪符を背広の胸ポケットから出して、構えの姿勢を取った。祥は腰を低くして、臨戦態勢を取っている。
「貴様が弓削秀信とやらか。我が結界を越えてくるとはほめてやろう」
 鈴薙は不敵な笑みを浮かべて言った。
「そしてその側にいるのは貴様の式神か。人の分際で、よくそこまで非道なことをする。いや、人だからこそできるのか」 
 凛太郎は、鈴薙の言葉の意味がよくわからなかった。祥が目を伏せた。その目は強い屈辱の色を浮かべているような気がした。
「何のことですかな」
 秀信は低く笑った。
 途端に、秀信は印綬を切りながら叫んだ。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
「こざかしいわ!」
 鈴薙は、秀信の体から放たれた白い光を両手で払った。するとその光は秀信めがけて、ブーメランのように戻ってきた。
 祥がとっさに秀信の前に躍り出た。
「うわあああ!」
 稲妻のような光を全身にたたきつけられた祥は、床に倒れた。
「大丈夫ですか、祥さん!」
 凛太郎は祥を抱き起こした。祥は唇から血をにじませながら、凛太郎に微笑みかけた。
「ご心配おかけして申し訳ございません、凛太郎さま」
 その間にも、鈴薙は秀信めがけて、青白い光線をいくつも放っていた。秀信は何か呪文を低くつぶやいていた。そのためか、鈴薙の攻撃はこちらには効かなかった。
「やるな、おぬし」
 鈴薙は言った。それとなく疲労のにじんだ声だった。
「ええ。あなたが封印されている千年間、私たち人間も知恵をたくわえてきたのです。すべてを私たち人間に託し、もうそろそろお休みなさい、鬼神殿!」
 秀信はそう言ってから、ふたたび印綬を切った。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
 秀信は叫んだ。裂帛の気合いとともに、白い光が放たれ、鈴薙が吹き飛ばされる。
「やりましたね、秀信さま!」
 凛太郎に支えられながら、傷を負った祥が秀信に呼びかけた。秀信は形の良い唇をつりあげた。
 凛太郎は秀信の勝利を喜ぼうとした。
 だが、それだけでは割り切れない自分がどこかにいる。
(どうして、僕……)
 凛太郎は頭をかきむしりたい気持ちだった。自分の目は、あの赤い髪をした鬼の姿を必死に探している。そして鬼の無事を心のどこかで祈っている。つい先ほどまで、凛太郎をみだらに翻弄していたあの憎い鬼の姿を。
「甘いな」
 威厳のある声がした。
 凛太郎はその声に振り向いた。
 鈴薙は凛太郎たちの背後に立ちはだかっていた。
 凛太郎は目を見開いた。この鬼は、自分たちに幻を見せていたのだ。そして一瞬の間に、凛太郎たちに気付かれぬうちにこの場まで移動してきた。
 まさに人ではないものの仕業だった。
「貴様、いつのまに穏形の術をっ?」
 祥が叫んだ。
 秀信は頬をこわばらせて身構える。
 だが、どう見ても勝機は鈴薙にあった。
 このままでは自分はこの鬼に連れ去られる。そして秀信たちは……。凛太郎の背筋に冷たい汗が流れた。
 鈴薙は顔を上げて、誇らしげに笑った。その笑顔は、月夜に咲く桜のように華やかだった。
「俺を見くびってもらっては困るな。これが本来の俺の力なのだから。先ほども、わが妹に気を与えてもらったところだ」
「気を与えた、とは……。凛太郎さま」
 祥の問いに、凛太郎は唇を噛んだ。   
秀信が横目で凛太郎を一瞥し、すぐに視線を鈴薙に戻した。
 祥は気まずそうに凛太郎から目をそらす。
 凛太郎は屈辱に頬が熱くなるのを感じた。
「何もそう厭わずともよいではないか、わが妹」
 鈴薙がククッと笑った。これほどあでやかでみだらな笑みの前には、世界中の美女が集まってもかなわないだろう。
「惚れ合ったもの同士が肌を合わせるのは自然の摂理にかなっている。ことに我らは千年の昔よりの縁。子までなしたではないか」
「違う! 僕はあなたなんか何とも思っていない!」
 鈴薙はすぅっと切れ上がった目を細めた。凛太郎の言葉に怒るどころか、高らかに笑い出す。
「ならば、思い出させてやろう。俺への思いを」
 鈴薙は凛太郎に歩み寄った。流れるように美しい所作だった。
「行け、祥!」
 秀信に命じられるまま、傷を負った祥が鈴薙に拳をふるう。鈴薙が祥に気を取られている隙に、秀信は印を切った。
「オンキリキリバサラナン、出でよ、水神!」
 空中にどこかから水がわき出て、獣の姿となり、鈴薙に襲いかかった。
「こざかしいと言っておろうが!」
 鈴薙は片手で水獣を、もう一方の手で祥をなぎ払った。
 水獣は四散して蒸発し、祥は壁に強く体を打ち付けたまま、動かなくなった。
「祥さん!」
 凛太郎は祥に駆け寄ろうとしたが、秀信に肩をつかまれた。
「下がっていろ、凛太郎。お前を守るために絶命したのなら、祥も本望だ」
「先生、でも……」
「お前はもうお前一人の身の上ではない。お前があの鬼神殿に奪われた時、私たち人は滅びの道をたどるしかないのだからな」
 秀信の言葉の意味を凛太郎が問う間もなく、秀信は鈴薙と対峙した。印綬を切りながら、秀信は眼鏡の奥の双眸を鋭く光らせながら、鈴薙をねめつけた。秀信の背後にかばわれながら、凛太郎はおびえつつ、鈴薙を見つめていた。
「待っておれ、わが妹」
 凛太郎のまなざしに気付いて、鈴薙は限りないいとおしさをこめて微笑みかける。こんな戦いの場にそぐわない、優しい笑顔だった。その笑顔が、猛々しいものに一瞬にして変わる。
 秀信の手の内から、今度は四匹の水でできた獣が現れたのだ。獣たちは牙を剥いて、鈴薙に襲いかかった。
 鈴薙は獣に腕や足を噛まれ、低くうめいた。
 秀信はさらに印綬を切りながらも、小さく快哉を叫んだ。
「やったか?」
 が、次の瞬間、水獣たちは秀信を襲撃していた。
「うっ!」
 秀信が苦痛の叫びを上げた。水獣たちは、秀信の手足に噛みついていたのだ。
「先生!」
 凛太郎は悲鳴をあげた。
「わが力が、火に属するから水の式を打ったまでは良かったな」
 鼻で笑いながら、鈴薙は語った。
「だが、おぬしごときと俺とでは持つ力が違いすぎるわ。どうだ、自らの放った式に攻められる気分は?」
「くっ……!」
 秀信は手足から血をしたたらせながら、憎しみのこもったまなざしで鈴薙をにらみつけた。
 鈴薙は獲物をいたぶる獣のように、愉しげに笑った。
「こ、この……先生を放せ!」
 凛太郎は叫びながら、水獣を追い払おうとした。だが、水獣たちは凛太郎には目もくれず、秀信に噛みつき続ける。
(こんな時のために、晴信くんに修行を受けたはずなのに)
 凛太郎はひどく狼狽しながら思った。
(僕は何もできない)
 秀信はもがき苦しみながらも、獣たちと戦おうとしている。凛太郎のために。
「先生……!」
 凛太郎は涙を流した。
「逃げろ、凛太郎……っ」
 秀信が息もたえだえに答える。
 凛太郎は最後の手段を思い起こした。先ほど試してみても効かなかった手段。
 だが、もう打つ手はこれしかない。
 凛太郎は思いのたけをこめて叫んだ。
「明、僕たちを助けて!」
 だが、何も起きなかった。
 凛太郎は思いをめぐらせた。もう一度叫んでみる。
「明、どこにいるの、明! 助けて!」
 だが、明の姿は現れなかった。
 あの陽気な鬼になにか起こったのだろうか。
 それとも、もしかしてすでに鈴薙の手にかかったのか。
 凛太郎は、暗い坂を転げ落ちる心地がした。
水獣に噛みつかれた秀信がついに、床に膝をついた時。
 突如として空中に青白い光が沸き起こり、人の形を作った。
「呼ばれて飛び出て明くんで~す、っと。って、こりゃそんなのんきな状況じゃなさそうだな」
 緑色の髪をした鬼は、辺りを見回しながら言った。
「明!」
 凛太郎は目の前に現れた明に駆け寄った。明が手を広げて、凛太郎を抱きしめる。凛太郎は明によしよし、とばかりに頭を撫でられながら泣きじゃくった。
「明、先生を、先生を助けて!」
「なんだかエラいことになってるな。まあ、あの陰険センコーは気にいらねえが、凛太郎ちゃんの頼みとあれば仕方ねえか。ほ~らよっと!」
 明は凛太郎を背中にかばってから、気合いをこめて指先から土煙のようなものを放った。それはたちまち水獣にまとわりついて、水獣の動きは鈍り、そのままどろどろになって溶けた。
「余計な手出しを……!」
 鈴薙は雄々しい眉をひそめ、明をにらみつけた。
 水獣の攻撃からようやく逃れた秀信は、安堵したように息をついてがっくりと床に倒れた。脚や腕など体の方々から血がにじみ出ている。
「先生!」
 秀信に駆け寄ろうとした凛太郎を、明は制して自分の腕の中に抱き込んだ。
「明、何するんだよ! 先生が……」
「あいつは放っておいても大丈夫だ。人の分際で十二神まで呼び出すタマなんだからな。急所だってちゃんとかばってる。お前が鈴薙のスケベヤローにさらわれちまう方が、俺はよっぽど心配だよ」
 明はそう言って、これみよがしに鈴薙に向かって凛太郎の唇を吸った。
 明に唾液をすすられながら、凛太郎は真っ赤になる。鈴薙の射るような視線がどうにも気になった。
「よ~しっ、これで元気回復!」
 口元に垂れた凛太郎の唾液をぬぐいながら、明はひまわりのような笑顔で叫んだ。
「てめえになんか負けねえぜ!」
「衰えたな、蒼薙」
 赤い髪の鬼は不敵な笑顔を明に向けた。
「主である凛太郎がお前を呼んでいるというのに、ここまで参上が遅れるとは……。おぬしと凛太郎は呪のきずなで結ばれているのではなかったのか? もしや俺の気を察知できなかったのではあるまいな。この弓削とやらもできたことなのに」
 うずくまる秀信を見下ろしながら、鈴薙は楽しげに笑う。
 凛太郎は明の様子をうかがった。鈴薙の指摘は、そのまま凛太郎の疑問だったからだ。
 明は形のいい唇を噛みしめて、鈴薙をにらみつけていた。はっきりとした焦燥が、その精悍な顔に表れていた。
「うるせえ! てめえなんかに関係ねえだろっ!」
「おぬしが来るまでの間、俺はわが妹と久方ぶりに愉しませてもらったぞ。たっぷりと歓ばせてやった」
 鈴薙は肩をすくめて、さもおかしげに笑った。切れ上がった双眸が、みだらな優越感に輝いている。凛太郎は羞恥のあまり、この場から逃げ出したくなった。小刻みに体が震える。
 明はそんな凛太郎に気遣うような視線を投げかけてからささやいた。
「俺はそんなことなんざちっとも気にしねえよ。愛してるぜ、凛太郎」
 明はそう言いながら、目を細めて凛太郎にほおずりする。
「や、やめろよ、明……」
 凛太郎はそう言いつつも、明のなぐさめをありがたく思う自分を感じた。
 鈴薙は燃えるような視線を二人に投げかけてから、青白い光球を放った。
 明は凛太郎を抱いたまま、片手でそれを受け止める。光球はたちまちのうちに飛び散った。
「何すンだよ! 凛太郎に当たったらどうするつもりだ!」
「大丈夫だ。俺はそんな間違いはせぬ」
「たいした自信だな。このナルシストが!」
 明は叫んだ。
そのまま明は叫んで、鈴薙に突進していった。
 鈴薙は紙一重の差で明の蹴りをかわす。
「させるかよ!」
 明は鈴薙に突きを食らわせた。それは鈴薙のほおをかすめて、血を流させた。
 鈴薙はその隙に、明の腹に拳をめりこませた。
「うっ……」
 明が低くうめいて、倒れる。
 鈴薙は薄く笑みを浮かべて、うずくまる明に歩み寄った。
「ちくしょう……っ!」
 明は叫んで、ひざまずいたまま鈴薙をにらみつけた。そのまま立ち上がろうとする。
 だが、明の顔に狼狽が走った。
「明っ」?」
 胸騒ぎがして、凛太郎は明に呼びかける。
「動かねえ……!」
 明はうめくように言った。
「え?」
「体が動かねえんだよ!」
 うずくまったまま、いらだちを隠しきれない声で明が叫んだ。凛太郎の背筋は寒くなった。
「今の貴様に、俺が倒せるわけがあるまい」
 鈴薙が残酷な喜びをたたえたまなざしで言った。そのまま明の頭を踏みつける。
「ぐああああ!」
 痛みに明が絶叫した。
「明!」
 凛太郎は鈴薙に足蹴にされている明に駆け寄った。そのまま膝をついて、明の顔を見やる。緑色の髪をした鬼は、苦悶に顔をゆがめていた。
 凛太郎はとっさに辺りを見回した。祥は気絶していたし、秀信は傷口に手を当てたままうずくまっていた。
 凛太郎にできることは、もうこれしかなかった。
「鈴薙、やめて! 明を助けてあげて!」
「断る」
 凛太郎の命乞いを、鈴薙はあっさりと拒否した。その秀麗な顔にはためらいはなかった。
「どうして……」
「お前にふさわしい男はこの俺しかおらぬのだ。ならば、いらぬではないか。我らの恋路の邪魔者などな。安心しろ。何があろうとも、俺がお前を守る」
「てめ……ふざけんな……っ!」
 鈴薙に必死に抵抗するように頭をもたげながら、明が叫んだ。
「ふざけているのはお前だ、蒼薙。その程度の力で我が妹をおのがものにしようとは笑止よ」
 鈴薙はにぃっと笑って、足に力をこめた。明の頭がじりじりと床につく。
「うっ……うわあああ!」
 明のこもった悲鳴が聞こえた。
 凛太郎は鈴薙の膝に取りすがった。そのまま必死に懇願する。
「お願い、明を助けて! そのためだったら僕、何でもするから……お願い!」
 鈴薙は凛太郎には答えず、そのまま足に力をこめている。明の悲鳴はいっそう大きくなった。
「よしてよ、明を助けてよ、お願い! 僕はどうなってもいいから……!」
 凛太郎の頬に涙があふれでた。
 鈴薙に当て身をくらわしたが、鬼のたくましい体はびくともしなかった。
「やめてーっ!」
 凛太郎は絶叫した。もうそれしかできることはなかった。
その時。
 突如として凛太郎の体から、白い光があふれ出した。
 その光はたちまち部屋中に満ちあふれ、うずくまったままの秀信がまぶしそうに瞳をすがめる。気絶していた祥までもが、光に気づいて目を覚ました。
 凛太郎は自らの体からあふれ出る光が何がなんだかわからずに、困惑していた。
「ぼ、僕いったい……?」
 光は次第に大きくなっていく、
「うっ!」
 鈴薙はその光のまばゆさに目を細めた。それに乗じて、明が鈴薙の体を、渾身の力をふりしぼってはねとばした。
「逃さぬ!」
 鈴薙はふたたび明に襲いかかろうとした。明はどうにか体勢を戻して、鈴薙から逃れようとした。
 だが、つい先ほどまで鈴薙にねじ伏せられていた体は言うことを聞かないのか、明の肩に鈴薙の手が今にもかかりそうになる。
 凛太郎は叫んだ。
「危ない、明!」
 すると、凛太郎の体から発せられた光は鈴薙を吹き飛ばした。
 鈴薙の体は、壁にたたきつけられる。
「くっ……」
 鈴薙は衝撃で切れた唇からあふれた血をぬぐいながらうめいた。
「我が妹よ……この俺を傷つけるとは。悲しいぞ」
 そう語る鈴薙の切れ上がった双眸は、純粋な哀しみにあふれていた。
 凛太郎は胸がずきり、と痛むのを感じたが、明や秀信らをこれだけいためつけた鬼に同情はいらないと思い直す。
 意を決して、鈴薙を見据えて叫ぶ。
「あなたに、僕はこれ以上みんなを傷つけさせない!」
 鈴薙の瞳がゆらいだ。
 凛太郎は息を殺して、鈴薙の反応を待つ。
 鈴薙と差し違えても、この場はおさめるつもりだった。
 鈴薙が笑った。その笑顔のおだやかさに凛太郎はとまどう。
 遠い目をして、鈴薙は言った。
「それでこそ、我が妹。そなたのその曇りなき気性は、まるで千年のいにしえと変わらぬ。そなたはそうして昔も、この俺に戦いを挑んだことがあったな」
「えっ……」
「まだ記憶が戻っておらぬか。まあ、よい。そなた本来の力は目覚めつつある。そのうち俺とのことも思い出すであろうーーーーその時こそ、お前が俺のものになる時だ」
 鈴薙は凛太郎に微笑みかけた。危険な、それでいて甘くとろけた微笑み。凛太郎は思わず瞳を奪われる。
「ではまた会おうぞ、わが妹よ」
 そう言って、鈴薙は突如として空中にかき消えた。
 凛太郎はしばし呆然と鈴薙がいた壁際を見つめていた。
 いったい自分に、前世で鈴薙との間に何があったというのであろうか。
 凛太郎の物思いを、明のうめき声が中断した。
「うっ……」
「明、大丈夫?」
 凛太郎は明に駆け寄った。そのまま倒れていた明を抱き上げる。こめかみから血を流しながら、明は言った。
「キスしてくれよ、凛太郎」
 凛太郎は思わず背後を振り返った。
 秀信と祥は自分たちを見つめていた。怪我を負った腕を押さえながら、秀信が言った。
「かまわん、私たちの目は気にするな」
 凛太郎は秀信がどこまで自分たちのことを知っているのだろうといぶかしく思いながら、明にくちづけた。それほど明は弱っていた。
 明の口を吸い、自ら舌を入れる。凛太郎の唾液をすすって、明の喉仏が上下した。
 途端に、こめかみの傷口が薄れていく。
 祥が息を飲む音が聞こえた。
「へへっ……どうもありがとよ。とりあえず一息ついた。後でたっぷり抱かせてくれよ、凛太郎ちゃん」
 明にいつもの調子が戻ってきたと安心しつつも、凛太郎は秀信たちの反応が気になった。
 秀信は自分たちの関係をどう捉えているのだろうか。さっきの口ぶりでは、凛太郎が明に気を与えられることを秀信は知っているようだ。
 だが、その具体的な方法を秀信が知っているかもしれないと思うと、凛太郎はこの場を逃げ出したくなった。
 秀信の前でだけは、そんなみだらな自分でいたくなかった。
 振り返ると、祥は怪訝そうなまなざしを凛太郎たちに向けていた。
 秀信は、今まで凛太郎が見たことがないようなきつい目をしていた。凛太郎は背筋が冷たくなる思いで、秀信を見つめ返すと、すぐに秀信はいつもの冷静な顔に戻った。
「怪我はないか、凛太郎」
 おだやかに言葉をかけられて、凛太郎は秀信が怒っていたというのは自分の錯覚だろうと思い直す。
「はい、大丈夫です。先生と祥さんは……」
「問題ない、と言いたいところだが。祥も私も、鬼神様にしてやられたようだ。お前に助けられたな、凛太郎」
 血のしたたる腕をもう片方の手でおさえながら、秀信は苦く笑った。
「しかし、あの鈴薙様はどこであんな力を手に入れたのでしょう? 明様の攻撃も、秀信様の放った水獣も返されるとは……」
「さあな」
 秀信は肩をすくめ、血に濡れたスーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「私だ。秀信だ。凛太郎の屋敷に、至急救援部隊を送ってくれ。え? 何?」
 秀信の秀麗な眉が上がった。
 何事かと、凛太郎は身を乗り出す。
「ーーーーわかった。とりあえず晴信に、私がよくやったと言っていると伝えておいてくれ」
 秀信はあたたかみのある声でそう告げると、携帯電話のスイッチを切った。
「どうしたのですか、秀信様?」
 祥の問いに、秀信は携帯をスーツのポケットにしまいながら答える。
「晴信が神託を受けたそうだ」
「神託?」
「ああ」
 凛太郎に秀信はうなずいた。
「鈴薙殿の気が感じられる場所が”見えた”と」
「ということはーーーー」
 祥の言葉をついで、明が言う。
「鈴薙のヤローが、そこの誰かの気を吸ってるってことだな。だからあいつ、あんなに手強くなりやがってたのか」
「気を吸うって……まさかこの前の杉原さんたちみたいな?」
「ああ」
 凛太郎の胸は痛んだ。また誰かが、自分のせいであんなむごい目に遭わされているというのか。そして自分の子供が、他人の気を吸う寄生生物にさせられているというのか。
「僕だ……僕のせいだ」
 凛太郎の視界は涙で曇った。傷ついた明、秀信、祥に土下座したい気持ちになる。
「反省すンのは後だ、凛太郎ちゃん。まずは勾玉が宿主にしてる人間を捜さねえとーーーおい、陰険教師よォ。晴信くんは、そいつが誰かわかってンのかい?」
「いいや」
秀信は首を横に振った。
「そいつは厄介だなあ」
 肩をすくめる明に、祥が注進した。
「晴信様も骨折りしてらっしゃるのです。今頃はかなり体力を消耗されていることでしょう。熱をお出しになっているかもしれません。私は屋敷に戻ったら、さっそく晴信様に……」
「祥」
 秀信にとがめられて、祥は口をつぐんだ。それでも心配げな様子は隠せない。
「申し訳ございません。無駄口を叩きすぎました。けれど、晴信様は……」
「わかってる、わかってる。あの坊ちゃんは、この陰険眼鏡と違って、まっすぐな気性の持ち主だよ。俺ァ、そんな坊やを悪く言ったりはしねえ。ただちょっと、鈴薙の虜にされてる人間を見つけ出すのが難しいと思っただけだ」
 明が面倒そうに言うと、祥はようやく納得したようだった。
「そうですか。そう言っていただけると、晴信様も安心なさると思います」
 祥の様子は、まるで子を心配する親のようだった。いつもは影のように秀信につきしたがう祥に、凛太郎は胸があたたかくなる思いだった。
「それで秀信様。その場所とは?」
 祥に問われて、秀信は答えた。
「まだ調査中のようだが、K県のどこかのようだ」
「K県……秀信様のお母様の故郷ですね」
 祥がつぶやくように言った。いつもはおだやかな光をたたえている垂れた双眸は、どこかいらうような色を浮かべていると思ったのは凛太郎の気のせいだろうか。
「それがどうした?」
 秀信は祥を一瞥した。
 明までもが息を飲むほどの、鋭い眼光だった。祥は電流に触れたかのように、目を伏せる。
 凛太郎が秀信の激しいまなざしの意を計ろうとした時に、窓の外から鈍い音がした。
 ふと窓辺を見ると、ヘリコプターがそこにあった。
「秀信様、大事はありませんか?」
 救護服姿の執事が呼びかける。
「えげつねェほどの金持ち……」
 明があきれたようにつぶやいた。



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